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土佐礼子さんと2ショット
 今年のお盆休みに私の卒業した松山商業高校の同窓会が開催されました。

私が松山商業高校を卒業したのが今から40年前です。卒業以来、仲の良かった連中とは時々交流していましたが、この同窓会が発足したのは今から4年前のことでした。それ以来、年に2度ほど松山の住んでいる仲間たちとは連絡を取り合って「夏にはビアガ−デン、冬には忘年会」などと親交を深めておりました。

今年は4年前に最初に集まったのと同じ規模で、松山市内のホテルを借りて盛大に開催されたのです。今日は、その様子をご覧ください。



★松商70会
これは我々が卒業したのが松山商業70期生という意味です。
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★校章を染め上げたTシャツ
この緑が松山商業のチ−ムカラ−です。今思えば懐かしい校章やロゴ
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★記念写真
このときに集まったのが約120名、この写真は約半数のメンバ−たち(ちなみに私は前列2列目の左から2番目)
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そ・そ・そして「この日の特別ゲスト」登場です。
日本を代表するマラソンランナ−であった土佐礼子さん。
彼女は、我々と同じ松山商業高校の卒業生で、この日の特別ゲストで来場していただきました。



★土佐礼子さん
スレンダ−な健康的な美人でしょう。
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★3人でポ−ズ
この写真の左側にいる佐伯さんの子供さんと土佐さんが同級生だとか・・・・そんなよしみと同じ同窓生としてこの会に来ていただきました。
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★2ショット
土佐さんの「タ・レ・目」が非常に印象的で、”田舎の良い人”って感じがするでしょう?
しかし、顔の大きさは私の半分ですよね。088.JPG


★Tシャツにサインを
今年のエヒメマラソン出場記念シャツにサインをいただいていました。
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★だいぶんお酒も進んで
みんなリラックスした表情で・・・・この中には、現役の高校の校長先生などもいるのはいますが、この日は全員が無礼講で高校時代に回帰しております。
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★みんな記念に土佐さんと
各クラス別に土佐さんと記念写真です。
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★私は高校時代の恩師と
この恩師は崎野先生というのですが、よく呼び出されてこずかれていました今となってはいい思い出です。
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【仲間との同窓会】
4年ぶりに集まった高校時代の仲間たち・・・。それぞれが60歳の還暦を迎えるあと少しの年齢となり、今までの40年間おもいおもいそれぞれの人生を謳歌してきたんでしょうね。やはり昔の同級生と集まって盛り上がるのはとてもいいもんですね。
それと、今年はこの時期にオリンピックが開催されていて、その縁でもないのですが同じ松山商業の卒業生である後輩の土佐礼子さんにきていただいたのも盛り上がった要因だと思いますね。
また伺います、みんな元気で生きていろよ・・・・なぁ。
| みんな元気なん?(OB会レポ−ト) | 09:06 | comments(2) | trackbacks(0) | -
私の2011年11月11日
 非常に珍しい1並びの昨日・・・・つまり西暦2011年11月11日・・これだけでもなんと1が6つも並ぶという珍事なのですが、これに付け加えるとこの日の午前11時11分11秒ともなると1が12ヶ並ぶわけですなぁ。

昨日の記念すべき日は、私が卒業した松山市の城北地区にある鴨川中学校野野球部のOB会の総会&ゴルフコンペがあり、朝から丸1日旧友たちと親交を深めてきました。
その様子をご報告します。
GOLFコンペの会場は松山市郊外にある北条CCです。


【グリ−ンの向こうには高縄山が見えます。】
この北条地区にはたくさんのゴルフ場があり、ここ北条CCもなかなか良いコ−スです。私も20代から40台はじめまではここ北条CCの代表選手としてGOLFの腕を磨いていました。








【池のあるアウト癸兇離哀蝓櫂鵝






【アウト癸携屬ら見た高縄山】
ここ北条CCが一番高縄山に近く、我々にとってはこの山が一番身近な存在なのです。




【アウト癸垢離哀蝓櫂鵝
これまた池があります。この日は、このパ−5のこのホ−ル・・・果敢に2オンを狙いましたが、残念ながら私の使用していたカラ−ボ−ル”池の肥やし”になりました。





北条CCは自家製のお漬物が美味しいのです。
これは食堂のサ−ビスで無料で出るのですが、この日はなんとお代わりをしてしまいました。
今日は仲間との交流なのでお昼には生ビ−ルをいただくのです。



【美味しいお漬物】




【やはり大好きなとんかつ定食】







そして食事の後は後半のインコ−スに行って・・・・無事にゴルフも終わり、シャワ−を浴びてさっぱりと。その後は、2次会の会場・・・松山市古三津にある「お好み焼き美味(みみ)」でOB会の総会の始まりです。一通りの堅い話も終わり・・・大好きな宴会の始まりです。





【ビ−ルの肴】・・・・から揚げに砂ズリの塩焼きです。




【おでん】・・・・やはりこの時期ともなるとお鍋・・・その代表格のおでんが温まります。



【牛スジのたれ焼き】・・・・カリカリの牛スジが香ばしくてたまりません。




【お好み焼き】・・・・ソバ玉




【お好み焼き】・・・・ウドン玉




【鴨川中学野球部OB会】
我々の年齢も60才近くともなるとやはり仲間との交流が盛んになっています。
同級生や同じ部活の仲間たち・・・昔活動していたバンド仲間たちとの交流や大学のOB会など・・・・。やはり昔の仲間たちとこうして交流するのは”自分探し”で自分の今までを振り返るのは一番いいのです。

今回・・・2011.11.111が6つ並んだ日の仲間との交流・・・最後のもう一つ11がありました。
それは今回のGOLFに参加したメンバ−の数・・・11名でした。
振り返るとこの日の出来事はあまり記憶には残らないとは思いますが、とにかく11に円のあった1日でした。

※それと、この日に行われたコンペで私が見事馬券を的中してゲットしたお金が11,000円、これまた11に円のあった1日でした。・・・・・チャンチャン。
| みんな元気なん?(OB会レポ−ト) | 07:42 | comments(0) | trackbacks(0) | -
大洲日帰り旅行3:ポコペン横丁・・・などなど
伊予の小京都「大洲の日帰り旅行」の3回目。

今日は、八日市周辺の”ポコペン神社”などという・・・・・最近地元の有志によって作られた大洲の新しい観光ポイントを紹介します。





【ポコペン神社】・・・当て字で”保湖辺神社(ポコペン)”と書かれてあります。
どうも神社に祭られているのは・・・・・お菓子のキャラクタ−であるペコちゃんではないですか?(若い人は知らんのではないでしょうか?
 


【9月初旬の日曜日・・・たくさんの人でにぎわってます。】
この日は日曜日というのもあって、たくさんの観光客でにぎわっています。ここポコペン横丁のようにやはりたくさんの人を集めるには、このような仕掛けが必要なんですねぇ。




【昭和レトロな商品が売られています。】
昔懐かしい・・・我々の世代にはそう感じさせる光景です。




【ポコペン横丁の特設舞台ではではタレントの握手会が】
地元松山で誕生した・・・・いわゆる松山のAKB48みたいなグル−プである「夢フルーツ缶?」とかいうグル-プのメンバ-たちがチャリティの募金をステ−ジの上でやっていました。
身近なタレント・・・・こういうノリが若者には良いみたいです。



【きょう乗るはずだった屋形船】
ほんとは今日のお昼にこれに乗って川を下って鵜飼いをする予定でしたが、昨夜の台風の影響で中止となったのです。




【レトロなレンガ館】
この街にふさわしいというのかふさわしくないというのか・・・・おしゃれなレンガ造りの館がありました。





そして、約2時間・・・・周辺の街を歩いた後は、大洲駅前の料亭たる井さんに帰ります。
それからは、この日に、わざわざ大阪から来られた我々の母校である大阪商業大学の先生の講義を1時間程度受け、その後は夜の宴会の部に突入です。



【宴会での折詰め弁当】
「いも炊き会」・・・・・・これも、本来は肱川の河原でする予定でしたが、やはり台風の影響で・・・・急遽畳の上での宴会となったのです。




【秋の大洲の代名詞】・・・・・・「いも炊き」
場所によれば「いも煮」などともいいますが、ここ大洲地区では「いも炊き」といいます。
中身は、サトイモと鶏肉・こんにゃくにフキの身も入っています。
出汁が非常にあっさりとしていて、お代わりを3倍いただきました。
久しぶりに満足した「いも炊き」でした。





【夕刻の伊予大洲駅】
約2時間の宴会も終わり、そろそろ松山に帰ります。
夕暮れの大洲駅ですが、やはり人影はまばらです。




【列車のル−ト表】
今朝来るときには、松山からの鈍行列車で約15ヶ所くらいの駅に止まりました。
各駅停車ですので5分おきくらいに停車するの多少ダルイ気分にはなるにはなったのですが、その駅その駅ではそれぞれに特徴があり、わずかな旅を経験させていただきました。




【帰りの特急列車内】
行きはフラットな座席でゴトゴトと1時間ちょっと、帰りは特急列車で約30分でのつかの間の距離間。
どっちがいいのかはわかりませんが、たまには時間を優先するよりもその地の景色や人々をウォッチングしながら旅するのも良いのでは?・・・・そう感じた日帰り旅行でした。
| みんな元気なん?(OB会レポ−ト) | 07:03 | comments(5) | trackbacks(0) | -
大洲日帰り旅行:2「臥龍園・・・・などなど」
伊予の小京都・・・・「大洲日帰り旅行」の第2弾です。

昼食を終え・・・さぁ、これから大洲市内を探訪します。

まず最初に向かったのは・・・・最近再開発されている大洲の古い民家が集中している地域に向かいます。「八日市の街並み」と呼ばれているこの地域、古い建物を再生したり土産物屋さんや各種イベントなども行われている場所なのです。

そして、この地域には大洲地区でも由緒ある名勝地の「臥龍園」があります。この建物の下に流れる肱川を見下ろすことの出来る落ち着いた庭と、京風の数寄屋造りの建築物も何棟かあって一般にも有料で開放されています。


まず最初は「臥龍園」に向かいます。(臥龍園?臥龍山荘?ほんとの名称はどっちなんでしょうか?)
今から紹介する建物のパンフレットでは「臥龍山荘」と書かれてありましたが、我々の通称としては臥龍園のほうが有名なのですが・・・・知ってる方があれば教えてくださ〜い。




【臥龍山荘入り口】
左に肱川をいただき、山間の石垣・・・そして数奇屋門をくぐれば臥龍園の建物が見えてきます。





【見よ!!この絶景を】
障子を開け放てば、眼下には肱川の絶景が拡がります。
この下では、夏のこの時期には屋形船で鵜飼いを楽しむことが出来て、風流な雰囲気を味わえるのです。




【この日はお茶のご接待をしていただきました。】・・・・400円でした。
このような景勝地で美味しいお茶をたてていただく・・・・なんておしゃれなんでしょうねぇ・・・。




【数寄屋造り独特の抑えられた美の追求】
私も建築の仕事をしている関係で、このような数寄屋造りは非常に興味があります。
数奇屋とは・・・数寄者・・・・・今風で言えば”おしゃれな粋な人物”が作った・・・・見た目にはさっぱりと仕上げ、見えない部分に贅を尽くして金をかけているといった・・・”建築の究極の贅沢”を極めた・・・・”ええカッコしい”の京都人ならではの建築物なのです。



【本格的な抹茶をたてていただき】




【京風のお菓子までついています】
見た目にも涼しそうな京風なお菓子が添えられています。




【しかし、今日の肱川は昨日の台風のせいで濁流】
この日の前日に日本列島を襲った台風のせいで水かさは増していて、水の色も濁流なのです。
この肱川には、鮎やどんこの仲間の「カジカ」も生息していて、それらを調理してこの地方の郷土料理として美味しくいただくことが出来るのです。





【臥龍山荘の庭にはかなり大きな「百日紅(さるすべり)」がありました。】
このようなでかいものはあまりお目にかかることはないのです。

サルスベリの木で有名なのは、松山にある奥道後のゴルフ場のアウトコ−ス7番ホ-ルです。ここ
には、巨木のサルスベリがホ-ル全体では数百本も植栽されています。
これは、このゴルフ場を作った故坪内さんが全国から集めた銘木のコレクションの一つですが、ここのサルスベリは質・量ともにすごいのです。




【臥龍山荘を支えている生きた木】
建物の裏側に回ると、現在でも根を張って自生している生の木が建物の一部を支えているのです。これには驚きです。




【おしゃれな木製の井戸・つるべ】
明治時代にタイムスリップしたような・・・・・・そんな井戸やつるべ・・・・・などなど・・・です。




【わずか2畳のお茶室】
庭の隅に小さな茶室が・・・・・。細部にわたって贅が尽くされています。




【母屋の臥龍院の軒先】
屋根はかやぶき・・・軒裏は化粧の竹の味t路を組んだものです。細かい細工が施されています。



【ここが本来の母屋】
「臥龍院」と屋ばれる母屋です。この建物だけでも約60坪という広い建物です。




【肱川方面から見た臥龍山荘】
今から約100年前に建てられたというここ臥龍山荘です。明治の貿易商の河内寅次郎が10年の歳月をかけて建築されたそうです。

| みんな元気なん?(OB会レポ−ト) | 06:59 | comments(0) | trackbacks(0) | -
”伊予の小京都”大洲への日帰り旅行
 先日・・・・日帰りで愛媛県の南、」大洲の街まで日帰りの小旅行に行ってきました。

ここ大洲への足(交通手段)といえば、通常ならば自由にフットワ-クが使える自分の車で行くのですが、この日は大学の同窓会という趣旨で行き・・・・夕方に宴席でお酒をいただくというので、やむなくJRで行くことにしました。車なら高速道路を使用して松山から約1時間、JRなら特急電車を利用すれば約30分で行くことができます。

普段はJRを使用して旅行するということは四国に住んでいる自分たちには余りありません。
近距離なら自動車で、長距離の場合は飛行機を利用して移動しているのです。

今回のJRでの移動というのは、ほんとに久しぶりで・・・・たぶん以前に乗ったのは20年以上前の話でしょう。まぁそんな久しぶりのJR・・・・今回の集合時間はお昼の12:00、早い便で行けば集合の1時間前に到着、その次の便で行けば約束の時間に遅れる・・・・そんな中途半端な特急の時間調整を選択するよりも、時間こそ1時間ちょっとかかる各駅停車の鈍行列車でのんびりとした旅に行って来ました。

そんな同窓会のレポ-トをいたします。



【JR松山駅】
ロ−カルな雰囲気のここJR松山駅、電車の本数やアクセスの悪さなど・・・・普段はあまり利用する機会がないのです。しかし、これを利用して大阪や東京まで行くことも可能なのですが、なんせ時間がかかるために結果的には飛行機を利用することが多いのです。





【日曜日の午前中・・・駅の様子】
発着便もあるにはあるのですが、さほどたくさんの人はいません。




【駅の構内】
大好きな駅弁を売っていました。
私の場合は、暖かいご飯よりも冷たいご飯の駅弁のほうが大好きなのです。ついつい買いたかったのですが、中途半端な時間(午前10:00頃)でしたので買うのは断念しました。ちなみに、JR松山駅のお勧めの駅弁は、私の先輩がやっている鈴木弁当店の「しょうゆ飯」がお勧めです。





【電車の側面には{坂の上の雲」の告知が】
そうです、ここ松山は「坂の上の雲」で最近少し脚光を浴びてきた街、今年の年末にも第3回めがNHKの特番にて放映されるそうです。




【今回は普通電車伊予大洲行き】
この1両編成の普通電車で参ります。時間にして1時間10分程度、久しぶりのJR・・・・その上各駅停車の鈍行列車・・・・何か興味津々で非常にこの経験は楽しみです。(これが”時間の贅沢”というものです。)





【車内の様子】
お客さんは15人程度で、席もガラガラ状態。何か非常にのんびりとした空気が流れております。





【重信川大橋から見たこの日の重信川】
普段の重信川はこの10分の1くらいしか水量はないのですが、前日到来した台風12号の影響でこのように増水して川の水も泥水状態です。
この後電車は、山間の道をゴトンゴトンとゆっくりと南に進みます。




【約1時間ちょっと・・・大洲駅到着です。】
ロ-カルな予讃線・・・その中でもロ-カルな伊予大洲駅、今から30年位前にNHKで放映された朝の連続ドラマ「おはなはん」の舞台・・・・・・・・が・・・・・ここ大洲なのです。




【駅前の案内板】
大洲周辺にもけっこうお勧めのお出かけポイントはあるようです。







【友達がやってる病院の看板発見!!】
大洲駅から国道56号線を歩いていると・・・・・・・ここ大洲で友達のやっている病院の看板を偶然にも発見。
見つけたぞう・・・・、池田くん・・・ここやったんやねぇ。




【ここ老舗料亭の「料苑たる井」が会場です。】
ここ大洲地方でも格式のある料亭のたる井さんが今日の会場です。
本当は、この日はお昼に集合して近くを流れる肱川で「鵜飼い」をしながらお昼ごはんを楽しみ、夕方はこの肱川の河原で「いも炊き」を楽しむ予定でしたが、台風のせいで鵜飼いもかわらでのいも炊きも中止となって、ここたる井さんのお店の中でいただくことに変更されました。




【たる井さんの外観】
ここたる井さんはJR大洲駅から歩いて2分、距離にして200mの至近距離にある老舗の料亭です。





【この日のお昼ご飯】・・・・竹の器に入った「鮎寿司」とたっぷりのしいたけで出汁をとった見るからに涼しそうなそうめん・・・これが今日のお昼ごはんです。(ほんとは・・・・これを川の上の船の中で鵜飼いを楽しみながらいただくはず・・・・・でした、残念!!)





さぁこのあと・・・・”伊予の小京都”と呼ばれる大洲の町を探索します。
| みんな元気なん?(OB会レポ−ト) | 06:51 | comments(0) | trackbacks(0) | -
バンド仲間との同窓会:皚再会を約束し・・・じゃぁ・・またね。
 昨晩は、約40年という月日を埋めるべく仲間との再会に歓喜し、参加したみんなが20歳のころにタイムスリップして・・・それぞれにみんなが積もる話に花を咲かせ、昔話を思い出しながらに大い席は盛り上がりました。


【8月7日(日)】
今日は2日目、夕べ少々飲みすぎてこの日は朝から2日酔いでしたが、6時に起床してこの旅館の近所にある「国宝の二王門」に出かけてみました。せっかく綾部に来て、近所に国宝があるというので眠い目をこすりながら出かけてきました。



【国の文化財:国宝光明寺二王門】
あやべ温泉二王館から車で約5分、そこから歩いて上ること約10分、国宝の二王門が見えてきました。




【朝日を浴びて壮大な建造物です。】
静寂の中、キツイ傾斜の石の階段をフ−フ−言いながら上って約10分、大きな門に到着しました。





【1対2体の木彫りの鬼がありました】
高さが約3m近くもある大きな木の鬼に圧倒されます。




【建てられたのは鎌倉時代】
ここができたのが1200年代、今から約800年前の建造物です。この柱がその歴史を感じさせてくれます。




【結構きつかったこの急勾配の階段】
最初はそんなでもなかったのですが、10分もの間歩いていると結構きついものがありました。3日たった今日でも、アキレス腱の筋肉痛が治まりません。





【しかし、ここ丹波の山並みが美しいのです。】
静寂な朝の丹波の山並み・・・・稜線が非常に美しく、癒しをいただきます。




【綾部のかんばやし地区】
この周辺は非常にのどかな田舎の風景です。今から40年ほど前に来た光景とちっとも変わっておりません。




【農道ではおばあちゃんがこれから畑作業でしょうか?】




【早朝出会った3人】
今日はそれぞれがいろんな予定で行動するのです。左端の湯藤さんは、舞鶴にいる息子さんと再会し、私と中央のアッチャンは舞鶴CCでゴルフ対決、その他は周辺の天橋立や伊根町の船宿などを観光する予定です。





今日は、AM8:30スタ-トで「舞鶴カントリ-クラブ」でゴルフです。



【舞鶴CCまなづるコ−ス】
舞鶴市内からは車で約15分くらいの距離にある、ここ舞鶴CC。27ホ-ルあって結構アップダウンはありますが、コ-スの表情が豊かで面白いゴルフ場です。 




【山間にあって、結構アップダウンのある面白いコ-スです。】
しかし、この日の気温は35度を超えていたんではなかったでしょうか?





【しかし、丹波の夏は非常に暑いのです。】
じりじりと音のするような猛暑の中・・・この日も私のプレ−のほうは絶好調で(39.34=73)の1オ−バ−で回ることができたのでした。相変わらずGOLFの調子はいいみたいです。





【昼食のアジの生き造り定食】・・・・・仲間の食べたもの
アジの生き造り・・・・新鮮な魚で1口いただいたのですが、非常に美味しかったのです。





【私は、うなぎの「櫃(ひつ)まぶし」定食を】
櫃(ひつ)まぶし・・・・1つで3つの食べ方が経験できるので・・・・欲張りな私のような輩にはぴったりです、






そして、GOLFもPM1:30に終了し、ひとっ風呂に入ってさっぱりとした後に、観光組みと舞鶴市内で合流です。




【舞鶴引揚記念館にて】
集まった総勢9人で最後の記念撮影。、約束の5年後の再会を誓ってみんなが一人づつ堅い握手をしあってお別れです。





【延々5時間をかけて四国の自宅へ帰ります。】
炎天下の中、途中休憩を何回かは挟みながら、約5時間かけて松山まで帰省しました。松山に帰ったのは午後8時過ぎ・・・・結構疲れましたが、充実した2日間でした。




【バンド仲間との同窓会・・・あとがき】
「女の子にもてたいからよ」
・・・・・これがバンドをはじめたきっかけかもしれません。
はじめた動機は不純でしたが、18歳ころの純な気持ちで始めたバンド活動、その過程ではメンバ−同士のいざこざなどもあって試行錯誤しながらの3年間でしたが、今となっては非常にすばらしい青春の思い出です。

60歳も近くなって再会した今回の仲間たち、今はみんながそれぞれ違う場所で違う人生を送っていますが、40年たって再会した時に・・・・・みんなに当時の純粋な気持ちに戻れた・・・・のを感じました。

ずっとあえていなかったのに、タイムスリップして40年前に戻り、何もなかったように語り合える・・・・仲間とはいいもんだなぁ、そういうことを感じさせてくれた今回の『バンド仲間との同窓会』でした。


みんな、今度は5年後に再会しましょう、それまでお元気で・・・。(川平・太田も・・)


ありがとう・・・・・アッチャン、湯藤さん、山脇さん、豪・ロリ−ギャラガ−敏昭・吉村・田淵・磯井・加藤・輝夫・桑谷・・・・そして同行してくれた奥さん・・・みんなに感謝・感謝です。
| みんな元気なん?(OB会レポ−ト) | 08:41 | comments(2) | trackbacks(0) | -
バンド仲間のと同窓会:皚◆孱苅闇ぶりの再会」
450kmもの道のり・・・・
 私の住んでいる松山から,今回の[「バンド仲間との同窓会」の開催される場所である京都の綾部市へ行くには・・・・距離にして片道が約450km、今回の足としては、松山から参加するメンバ-はY君とT君、それにうちの奥さんとの4人なので50代の年齢ではいささか疲れはしますが、フットワ-クよく自由に行動ができるようにと・・・私の車で行くことになりました。(2日目はGOLFもするので、GOLFバッグも積めるし・・・・。)

同行する仲間をそれぞれ拾い上げて、松山インタ-をAM9:00ジャストにスタ-ト。朝のうちは、多少雲があったりして思ったよりも涼しく、四国地方の高速道路を走ります。およそ1時間半を過ぎたAM10:30分過ぎ、いよいよ瀬戸大橋に乗って・・・・・いよいよ四国の地を離れて中国地方に上陸です。



【瀬戸大橋】
この瀬戸内海を横断する巨大な橋ができたおかげで、四国からでも自家用車で本州方面へ行くことができるようになったのです。この巨大な橋を通ると、われわれの学生時代・・・・今から40年前には考えられないほどの世の中の進歩を改めて感じられるのです。



【後方座席記から運転の様子を】
多少の臨場感を演出してみました。





【山陽道から京都方面へ向かいます】
岡山から山陽自動車道に乗り、舞鶴方面へ向かいます。




【綾部まであと1時間くらい?丹波笹山の西紀インタ-チェンジで昼食】
お昼を過ぎ、パ-キングアリアで昼食休憩です。やはり夏休みの最中の土曜日、パ-キングエリアは昼食を食べる人たちで人が沸いていました。





【仲間の食べた「丹波笹山”恵”弁当】
彩の美しいお弁当、美的には良い感じです。



【肉食の私は「丹波笹山猪肉ハンバ−グ」】
やはり笹山といえばイノシシでしょう?




その後多少迷いながら、約束の3時過ぎに今晩の宿・・・あやべ温泉二王館到着です。
ここで少し早く温泉で疲れを癒し、夕方からの宴会に備えます。




【今回の宿泊場所&1次会会場】・・・・・あやべ温泉二王館



【玄関のでっかい暖簾】
まだできて新しそうなこの旅館、1晩お世話になります。






【1次会開催】
PM6:00今回参加するメンバ-も揃い、1次会が静かに始まります。
始まったころはまだ少々ぎこちない雰囲気なのですが、時間がたつごとに次第に場は盛り上がっていきます。





【1次会に参加のメンバ−】
後列:加藤の奥さん・私・湯藤さん・吉村・磯井・うちのかみさん
前列:加藤・山脇さん・藤本アッチャン・敏昭・田淵・・・・・以上11名




約1時間半の1次会も終わり、車で約3分の距離にある友人の経営する居酒屋に場所を移動して、2次会の開宴です。



【1次会を終えて2次会会場へ】
温泉のバスで送迎してくれました。




【2次会会場の「かんばやし・の」】
このお店は、ラ-メンと鶏料理で地元では有名みたいです。



【古民家を改装してお店として営業してます】
周囲の緑に溶け込んだ静かな集落に有ります。



【農機具や囲炉裏まである昔ながらの屋敷です。】




【全員でなにやら見ています】
この時は、私の持参した40年前のバンドのコンサ-トの様子を8ミリ二撮っていたのをCDに焼き直しし、それを全員で懐かしそうに見ています。
その時代に戻ったようで、それぞれみんなが過去にタイムスリップするのです。
※みんな笑顔です、こんな様子を見ると「あ〜ぁ今回やってよかったなぁ」・・・しみじみと感じるのです。




【そして、飲んで食べて語り合って】



【昔話に花が咲いていきます】




【飲むほどに、酔うほどに盛り上がっていきます】





【なにやら真剣に話していますが・・・・たいした話ではなさそうです】



【当時ボ-カル担当だったこの店の経営者ツヨシ君が熱演しています?】
いや、これは歌を歌っているのではなく、当時のエピソ-ドを熱演しているのですから・・・・・・・。



【そしてお開きに】
延々5時間もの間飲んで食べてそして大いに語らいました。
今回参加の全員13名がそろってポ-ズです。
この時点では、全員が40年前にタイムスリップしています。いいもんです。




※2日目へ続く・・・・・・。乞うご期待
| みんな元気なん?(OB会レポ−ト) | 08:14 | comments(4) | trackbacks(0) | -
バンド仲間との同窓会@京都府綾部市
8月7(土)8(日)の2日間、1泊2日で京都まで行ってきました。京都といっても舞妓さんたちや神社仏閣がたくさんある”花の都の京都市”ではなく、京都からJRで約1時間かかる日本海に近い京都府下の「綾部市」です。さて・・・・・ここへ行った理由とは・・・・・?



 私も学生時代にはたくさんのことをして楽しんできました。
小学校の時にはソフトボ-ルや剣道に夢中で、中学時代には軟式野球に入部し2年生からはレギュラ-として1番バッタ-の守備位置はサ−ドでボ-ルを追いかけていました。そんな野球好きですから、高校では野球の名門松山商業に進学し野球部に入部、結果3ヶ月しか在籍しかいなかったけれど、名門野球部を経験することができたのでした。その後は、機械体操部に入部して、3年目にはレギュラ-選手で活躍しました。


【バンド活動とバイトばかりの大学時代】
その後の大学時代には、1年生から音楽に興味を持ち、下宿していた周辺の仲間とロックバンドを組んでアマチュアのコンサ-トなどに出場したりなどなどの音楽活動をしていました。大学3年生ころになると自分で言うのもなんですが・・・・実力や人気も上昇してきて、秋の学園シ−ズンともなると女子大学あたりから結構の数ダンスパ-ティでの演奏を依頼されたりして、小遣い稼ぎに没頭していました。卒業するまでの4年間はこのバンド活動に没頭し、卒業間際まで自分たち主催のコンサ−トやダンスパ-ティの演奏などで楽しんできました。
バンドするのはメンバ-5人程度でしたが、その活動(チケット売りや場所の手配、共演者との交渉など)たくさんの仲間に協力してもらい・・・・われわれのバンド名「泥(どろ)」の仲間たちという思いをこめてその仲間たちを含めた全員が『泥ファミリ−』として約15人くらいが今でも交流しているのです。

【綾部市に集合】

そんな、大学時代のバンドの仲間たちとは30歳くらいまでは通算で2.3回、みんなが集まりやすい大阪などに集合し同窓会みたいなものをやっていましたが、ここ30年くらいはそれぞれが”年賀状のやり取り”程度の付き合いだったのでした。

今年の正月に、私とその仲間の一人と電話で話していたら・・・・・「今年くらい、みんなで集まろうや」という風に意気投合し、いろいろと調整を重ねてお盆前の8月6.7日に集まるようになったのです。
集合場所は・・・京都府綾部市、ここは人口3万人くらいの小さな山間の盆地、実はこの町出身のメンバ-が約半数もおり・・・・出席率を上げるためにも綾部に集結しようという風になり、この場所に決定したのです。



そんな、大学時代のバンド仲間の同窓会の様子・・・・レポ−トします。




まずは・・・・過去のさかのぼって約35年前の雄姿をご覧ください。




【大阪の枚岡公園にて】
何がそんなに楽しかったのかは知りませんが、みんな楽しそうです。



【演奏が終わって・・・多少興奮した様子】
左から、アキラ・アッチャン・ツヨシ・田尾君・湯藤さん・・・・そして私・・・。



【コンサ-トが終了し全員で記念撮影】
これも大学時代の綾部市で開催したコンサ-トの一こま、参加したメンバ-や協力してくれた仲間など、みんなの協力のおかげで楽しいバンド活動ができたのです。(中央首にマフラ-してるのが私)




【演奏の様子】
写真が白黒なのが時代を感じさせてくれるのです。



【女子大学の文化祭の1シ−ン】





【観客は聞くのではなく踊るのです。】
ダンスブ−ムの真っ只中・・・・聞いているよりも踊るのが楽しいのです。




【私もドラム叩くのです。】
ドラマ-は後方であまり目立たないので、写真は少ないのです。



【演奏が終わってリラックス】
このくらいともなると、結構余裕の表情です。(左から2番目が私)



【これも別のコンサ-トの記念写真】



【松山観光港にて】
クリスマスの松山観光港・・・コンサ-トが成功に終わって、みんなは船で大阪に帰省します。




【毛皮のファ-コ−ト】
「ラビットのファ−コ−ト」・
・・・・つまりウサギの毛皮のコ-ト・・・これを着て冬の季節はコンサ-ト活動には電車で移動しておりました。現在の私にすればすごく恥ずかしい1ショットなのですが・・・・これも青春の一こま・・・・これも自分ですから・・・。(右側です)




【愛媛県民館】
今は無き・・・・ここ愛媛県民館なのですが、今から35年前の12月23日に「クリスマス・イブ・イブダンスパ-ティ」と題して・・・・約1,100人もの人を集めた一大ダンスパ-ティを主催したのです。
人生最大の人を集めたイベントでした、この興行は大成功でして、みんなに交通費やその上にギャラまで払って喜んでもらったのです。




【ひとこと】
若気の至り・・・・なのですが、それも青春の一こま、次回は現在の様子レポ-トします。



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(35年ぶりのロックバンド復活か?)6月9日はロックの日
6月9日は”ロックの日”だとか・・・・ロックといえば、皆さんそれぞれにいろんな解釈があり.蹈奪(音楽)▲蹈奪(氷)オンザロックなどロック(鍵)鍵をかけるなど・・・・ですが、
私の場合は、やはりロックといえば”ロックバンド”なのです。今から約40年前にさかのぼりますが、その私のル−ツについてご紹介し、6月9日の「ロックの日特集」と致します。 



私の青春時代のはなし・・・・・・・。

“むかしむかし・・・ある所におじいさんと”・・・・じゃなくて、今から・・・・・およそ40年ほど前の話です。

高校を卒業した私は、一路大阪を目指して生まれて初めての一人旅で・・・松山から高松までJRで行き、高松から本州へ行く宇高連絡船の船中にいました。
はじめて行く大阪の地、試験したのは高松だったので大学がどんなところかも良くわからずに、住む場所についても進学する学校の推薦してもらったままの場所という、見てもいない下宿へ「まぁ何とかなるだろう」と向かったところが、文化住宅の裏側部分の日に当らない部屋だったのです。

※文化住宅:大阪ならではの独自の借家の方式・・・いわゆる”長屋形式”で隣の家と壁が引っ付いた平屋の4軒〜六軒くらいが1棟の集合住宅。

【古くて暗くて不便な部屋】
ただせさえ狭い文化住宅、私の住んでいた家の1世帯分全体の間取りはというと・・・・玄関に3畳の台所、和室4.5畳、和室6畳が1つの世帯で・・・・今風にいえば2Kの間取りでした。この文化住宅にはこの間取りに家族3人とか4人が住んでいたように思いますのです。当然に風呂はありませんでして、みんな近くの銭湯に行っておりました。

【年中日の当らない暗い6畳1間】
その狭くて南北に長い長屋を学生達に安く貸すために”無理やり南北2つに分断したその裏側部分の6畳1間の借家”・・・・これが私の大阪での初めての1人暮らしの住まいでした。(その逆の玄関に台所・4.5畳の和室がもう1人の部屋でしたが、そちらは日当りも良く台所もあって自炊ができたのです。うらやましい)

私の部屋は和室の1間だけでしたが、その部分は北側にあたりますので1日中太陽はあたりません。また、トイレは部屋のすぐ脇にあったのですが、それ自体は使用禁止となっており、用を足すにはいちいち部屋から約15m程離れた同じ大家さんが所有していた近所のアパ−トの共同トイレで用を足すしかなかったのでした。


【バンド発足のきっかけ】
そんな、カビの生えそうな部屋でしたが、一つの救いがありました。といいますのが、隣の部屋の1つ年上の先輩が非常に音楽好きで、その部屋からはしょっちゅうレコ−ドがかかっていて、大阪へ行った最初の頃はその先輩に部屋に入り浸っておりました。

私は、中学生時代から高校時代には運動に精を出しており、野球部や器械体操部でレギュラ−として汗を流していましたが、クラブ活動がオフの時には時間があれば友達などを集めて「バンド遊び」程度で音楽を楽しんでいました。それがギタ−であったり、べ−スやドラムなど、いろんな中古の楽器を集めたりして、当時禁止されていたバンドのライブを見に行ったり、ディスコ(ゴ−ゴ−喫茶だったかなぁ?)などの場所にも仲間たちとも出かけていたのです。

そんな音楽好きの私ですから、大阪の大学に行った隣の部屋の音楽好きの先輩とも意気投合して、ギタ−の演奏などをしながら次第にバンドを作りたいという夢を語り合ってるうちに、やがて大学2年の時に正式に”ロックバンドの泥(バンド名です)”をその先輩と仲間3人で結成しました。

お互いが好きなバンドの曲を持ち寄って、それぞれのパ−ト別でコピ−して、毎週1回程度大阪市内の難波などのレンタルスタジオで練習する・・・といったことを続けながらレパ−トリ−も増えてきて、少しづつ他のグル−プとの合同コンサ−トなどをしながら徐々に力をつけていきました。
それからは、大阪を含めた近郊関西圏にある女子大学の文化祭などにもギャラをもらって演奏したりして、卒業する大学4年の冬には私の地元松山でダンスパ−ティやコンサ−トなども開催してけっこう稼いだものでした。

このように楽しい大学生活の一番の思い出がこのロックバンドの活動だったのです。



【35年ぶりのバンド仲間との同窓会】
こんな大学時代の最大の思い出である”ロックバンドの活動”をしていた仲間との再会が今年の夏に実現します。今までにも、大学の卒業以来2.3回は大阪附近で何人かで集まり交流していましたが、それ以来は年賀状の交流くらいしかなく、今年は機会があって私が号令をかけて再会します。

今回は、バンドの仲間たちの中でその場所が出身地であって、今でもたくさんの連中が住んでいる京都府下の日本海寄りにある綾部市に総勢の14名が集合して、久しぶりの再会をする予定です。
今回参加するメンバ−の中には、そろそろ60歳にも手が届く年齢の人もいるので、今回が最後の全員で会える場になるかも知れません。まぁそんな先のことは考えずに、みんなで昔話や近況などを語り合いながら楽しい時間を過ごしたいと思っております。

【参加メンバ−】
藤本昌司・山脇学・湯藤浩康・井上健太郎・吉村定修・川平宏二・太田政名・野々垣豪・磯井朗・野々垣吉徳・長尾輝雄・加藤清悟・田渕俊文・桑谷啓史・・・・以上14名の予定・・・それと奥さんなども同伴予定です。


それでは、約35年前の我々の勇姿をご覧下さい。(これは最近カメラ屋さんでCDに焼つけました。)あ〜ぁ恥ずかしい・・・のです。




【女子大でのダンスパ−ティですね】
この頃は安いギャラでもどこまでも出かけていました。お客さんの前でガンガン演奏して、みんなが楽しんで踊ってくれるのがなによりの励みだったのです。



【大学3年の春頃】・・・・昭和50年頃(コンサ−ト会場にて)大阪の若江岩田市民会館
このメンバ−は・・・・見れば誰だか・・・わかる人にはわかるはず・・・・。




【このドラマ−は?】・・・・・俺ですから・・・。
白黒の映像というのがなんともオシャレですねェ。なんせ、高い所が今でも好きだから・・・。





【太田君と・・・私】
何かのコンサ−トの楽屋ですなぁ。
チップスタ−食べています、この頃にもあったんですね。




【これまた楽屋ですから】・・・・・昭和52年ごろ
長髪にダブルのス−ツ、当時の流行そのまんまです。私の場合は左から2番目ですが、今からいえば約15kgはやせていました・・・・それが何か・・・ウン?





【綾部市でのコンサ−ト】・・・・・昭和50年頃
このコンサ−トの参加者全員・・・この中で約3分の1が今回の同窓会に集まります。
みんな元気でいろよ!!







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35年前の勇姿?ロックバンド「泥」
  今日は大変お恥ずかしい・・・・・けど少し触れてみたい私自身の「学生時代の勇姿?」をほんのちょっとだけご披露します。・・・・・ほんとちょっとだけよ・・・・。


【松山〜大阪の1人暮らし】
 今から遡ること約40年前。高校野球で有名な愛媛県立松山商業高校を卒業し、1年間の社会生活を経験後に大学生へ転出した私がいました。同級生からは1年遅れで入学した大学の名は「大阪商業大学」、この大学で、私の4年間の大学生としての1人生活が始まりました。


【東大阪市民】
この大学がある東大阪市は、大阪市内中心部からは東側の生駒山の麓にあります。学校の近くには近鉄電車の奈良線が通っていて、周辺にもたくさんの大学があります。マンモス校で有名な近畿大学や大阪産業大学・大阪経済法科大学・大阪樟蔭女子大学など、電車に乗っていても他校の生徒ともよく会ったものです。


【近鉄奈良線「東花園」】
 私が大学時代に住んでいたのが、ラグビ−の全国大会ではおなじみの花園ラグビー場の近くの「近鉄東花園駅」、そこから徒歩で約10分くらいの文化住宅が大阪の棲家でした。「文化住宅」というと、大阪以外の人にはあまりなじみのない賃貸住宅の種類なのでしょうが、簡単にいうと「長屋」でして、軒を並べた1件の平屋のお家に5世帯くらい同じ間取りのおうちが並んである・・・・そのような形態の賃貸住宅に住んでいました。

【文化住宅でも・・・】
 そのお家は、現在風にいえば「2DK」の間取りが1つの世帯となっていましたが、私の住んでいた部屋はといえば・・・・1軒のお家を学生用に2人分として貸すために・・・・・・1世帯分を無理やり壁で南北に仕切り、その2つに仕切られた北側の裏側の部分なのでした。南側に面した「玄関と3畳の台所・和室4・5畳」の日あたりの良い部屋は他の学生が住み、私は勝手口が入口という北に面した裏手部分の部屋であり・・・当然「1年中陽の当たらない部屋」に最初の大阪の2年間は住んでいたのでした。

【風呂なし・トイレなし・キッチンなし】
その当時は、学生の部屋には当然にお風呂もなく、お風呂は近所の公衆浴場でしたし、トイレも部屋にはなく、近くの同じ大家さんが所有する学生アパ−トの共同トイレにて、雨の日には笠をさして用をたしたりしていたものです。

【音楽大好き】
たまたま借りた、そんな壁1枚を隔てた隣の部屋に、音楽好きの1年先輩が私より前から住んでおり、同じ学生という事で仲良くしてもらってました。たまに食事をご馳走になったり(主にカレ−なんですけど、肉・野菜は一切入っていない「マグロツナ缶入りだけのカレ−だったのでしたが)、その人の買ってきた新しいレコ−ドを一緒に聞いたり、ギタ−を弾いたりしながら時間を過ごしていました。

【バンドブ−ム】
当時はフォ−クソングやロックが若者に大流行しており、バンドブ−ムの真っ只中にありまして、私達も音楽そのものも大好きだったのですが・・・それ以上に「バンドをすればカッコよく、そうなると女の子にもてたい」という一心で・・・・好みのグル−プの曲をコピ−したりしながら、徐々にその先輩と仲間を増やして行き、本格的にバンドを結成するようになったのです。

【ロックッバンド結成】
作ったのはロックバンドでしたから、騒音の問題もなどあるし借家の部屋での練習ということも出来ず、週に1度くらいは大阪市内の難波にある楽器屋さんのスタジオなどを借りて練習を続け、徐々に我々のバンドとしてのレパ−トリ−も増えてきました。当時、同じスタジオで練習していたのは、その後数年でプロとしてデビュ−し「あんたのバラ−ド」が大ヒットした”世良雅則とツイスト”などもこのスタジオのメンバ−にいたのです。

その後の我々のバンド活動といえば、女子大の文化祭の出場や各地で行われるコンテストに参加したり、ロ−カルの市民会館などで自前のコンサ−トなどを度々開いたりしたものでした。



【30年ぶりの同窓会】
そんな昔のバンド仲間とは、卒業して数年後に大阪や名古屋で再会はしてはいたのですが、ここ30年以上は会ってはいませんでした。毎年1度の年賀状のやり取り程度の付き合いでしたが、今年の正月明けに、私が無性に「昔の仲間に会いたい」と思うようになり、仲間全員に連絡したところ・・・・今年の夏に京都で約30年ぶりに会う事が決定しました。

総勢14人・・・・会って・しゃべって・笑って・飲んで・食って・・・・・特別これといって何をするわけでもないのですが、昔話に花を咲かせて・・・・・「親父たちの同窓会」をやる予定です。


そのために、今回「古い当時の写真を最新のCDにダビング」してもらい、このほど完成しました。
昔の仲間にこの夏にお土産として持って行く予定です。

待ってろよ・・・・みんな。
豪・敏明・磯井・加藤・太田・加藤・川平・田渕・輝雄・吉村・藤本さん・湯藤さん・山脇さん


そのなつかしの写真の1部をご紹介します。


あ〜ぁ・・・・恥ずかしい。





【京都府の日本海寄りにある綾部市の市民会館にて】・・・昭和50年くらいのもの
当時一緒にコンサ−トを開いた数組のバンド仲間全員と・・・。
われわれのグル−プ「泥(どろ)という名前です」とのコラボ・・・です。
(ちなみに・・・私は前列2列目の中央、マフラ−を巻いているのです)



【バンドではドラマ−でした】



【遠征の時に近鉄東花園駅で】・・・1年先輩のマネ−ジャ−Yさんと
右側が私。当時も今と変わらずこの日もそんなに寒いわけではないのですが・・・・ロッカ−としては、コンサ-トの時にはカッコつけて「ラビット(うさぎ)のファ−(毛皮)コ−ト」などを着こんで意気込んでおりました。(右手にもっているのは、当時の私の宝物・・・自前のラディック社製のスネアドラムなのです)



【コンサ−トが終わった直後に】
コンサ-トが終わった直後なので、多少メンバ−みんな顔も紅潮し、興奮してるようなそんな写真。
(左から2番目が文化住宅の隣人、先輩のFさん・・・今は、香川県で薬関係の仕事をしてるそうです)
そろそろ写真も”−”に進化しております。



【楽しかったバンド活動】
女子大巡りのひとこま・・・ギャラをもらい・・・ファンもいて・・・けっこう勘違いして”もてた”んかなぁ?・・・という時代でした。



【最後のコンサ−トも終わって】・・・昭和52年当時
そろそろこれで最後のコンサ−ト。卒業して、社会人となるために・・・髪もばっさりと切ったのです。(しかし、今とは違い・・・そうとうヤセとるのです・・・・左から2番目)



【あとがき】
『バンド活動に空けて、アルバイトして、ちょっとだけ学校へ行って、またバンドに暮れる』
そんな大学生活、しかし、素晴らしい仲間に恵まれて充実した4年間を過ごすことが出来ました。

今年の8月6.7日京都の綾部で「OB会」で会うのが非常に楽しみです。


おしまい・おしまい・・しかし恥ずかしいものです・・・若い時って・・・。
(なんか自分のヌ−ド写真を公開したような恥ずかしさです)

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